こんにちは。
高野直人(こうのなおと)です。
私は人の夢を応援するような、
仕事をしていながら、
「諦め」や「逃避」を、
わりと肯定する人間です。
「人を応援する」というと、
「諦めちゃいけない!」
「逃げずに向き合え!」
「最後までやり切れ!」
などと励ますことが、
一般的なのかもしれませんが、
人生には、
諦めることでスッキリし、
逃げることで、
精神の破綻から、
救われることがあります。
特に感受性の強い人たちは、
生き続けるという、
ただそれだけのことが、
とてつもなく大変である、
と感じていたりします。
ある人は薬の力を借りて、
その日その日を乗りきり、
ある人は体調不良を自覚していても、
それを認められる状況ではないために、
ギリギリの状態で踏ん張っていたり。
そういう人たちに、
「頑張れ」とか、
「大丈夫」などと、
言えてしまうのは、
よほど大らかなのか、
鈍いのかは分かりませんが、
視点が乏しい感じがしますよね。
有名なイソップの寓話に、
「すっぱいブドウ」
の話があります。
あれは、
自分の手の届かない、
高い所にあるブドウを、
キツネが、
「どうせ酸っぱいに決まっている」
と決めつけて自己正当化する、
負け惜しみの見苦しい話として、
一般には伝えられていますが、
あの話について、
ラ・フォンテーヌという人は、
「愚痴をこぼすよりも、
マシなことを言ったではないか」
とキツネの態度を肯定し、
「手の届かないものについて、
うらやむのは愚の骨頂」
という異なる教訓を引き出しました。
「負け惜しみこそ精神の健康法」
と考えるのが、
フランス式の処世術なんですね。
何事も片側の論理だけでなく、
違う面からも見れると良いですね。
チャレンジや努力にも、
良し悪しがあり、
あきらめや逃避にも、
良し悪しがあります。
人には向き不向きがあり、
気力や体力や時間には制約があります。
それらの状況においては、
当然ながらできることと、
できないことが限られるわけで、
なんでもかんでも全てを、
貫徹できるわけではありません。
何かを大事に守るためには、
何かからは撤退しなければなりません。
それが現実的な思考というものです。
病みやすい人や、
周りを病ませやすい人というのは、
視点の乏しい人が多いです。
一方の正しさだけを盲信して、
それ以外を悪と決めつけてしまい、
正しさの負の面を、
見ることができなかったり、
悪に見えるものの中にある、
やむなき事情みたいなものを、
感知できません。
だから、
「これができない自分はダメ」
と自己嫌悪に陥ったり、
「こんなことができないなんて、
信じられない」
という風に、
他者をすぐ断罪してしまうのです。
「ポジティブこそが善」
「成長、挑戦、達成こそが善」
という風に、
視点が固定化してしまっている人は、
たくさんいます。
あるいは職場に、
そういう先輩や上司が、
たくさんいるかもしれません。
そういう人たちの言葉だけを、
真に受けるのではなく、
異なる視点を増やしながら、
バランスを保っていきましょうね。
高野直人
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