音楽ライフコーチングの高野(コウノ)です。
日々、色んな方の悩み事を聞く機会が多いのですが、「それって、別に悩まなくて良いことなのでは?」と思うことがたまにあります。
本人にとっては切実な問題なので、その悩みを軽んじているわけではないのですが、「思い込み」が悩みの原因になってしまっている場合があるのです。
悩みは、自分が持つ信念から生まれています。
「こうあるべき」「こういう状態が望ましい」と思っているのに、現実にはそうなっていないから不愉快になったり、落ち込んだりするわけです。
ですが、自分が思っている「こうあるべき」「こういう状態が望ましい」という信念は、自分が育った環境からの影響、あるいは刷り込みによってでき上がっています。
生まれたばかりの鳥のヒナが、初めて見たものを親だと思って一生疑わないように、
私たちも生まれてから今までに、「こうあるべき」「こういう状態こそが望ましい」と身近な大人たちから刷り込まれた正しさを信じて、それを疑わずに生きてしまっているかもしれないのです。
例えば、何かの宗教を信仰している家に生まれた人は、その宗教が「正しい」と教わり、その宗教を布教することが「正しい」と教わります。
すると、その人は、その宗教の布教がうまくできなかった時に悩むことになるでしょう。
でも、その宗教をやっていない人から見たら、「なんでそんなことで悩むの?」「そんなこと別にやらなくてもいいじゃん」 となります。
この人は、ある意味では、周囲の人々から刷り込まれた信念によって悩まされているとも言えるわけです。
宗教に限った話ではなくとも、刷り込まれた信念というものはたくさんあります。
例えば、「高い教育をほどこすべき」と考える親のもとで育った人は、「勉強ができない」ことで悩む可能性があります。
「お金を稼ぐことが大事である」 と考える親のもとで育った人は、「お金が稼げない」ことで悩む可能性があります。
「人の役に立つことが大事である」と考える親のもとで育った人は、「人の役に立てない」ことで悩む可能性があります。
「これが普通」「これが当たり前」 と教わったからこそ、そうなれないことに悩むのです。
ですから、悩みを持った時には、それを解決しようとするよりも先に、「その悩みは、本当に自分にとって悩むべきことなのか?」と考えてみたほうが良いでしょう。
今の自分が信じている「普通」「常識」「当たり前」を、「本当にそうだろうか?」「本当にそれを大事にすべきだろうか?」「本当に自分はそれを望んでいるのだろうか?」と疑うのです。
法的に定められていないことに対して、従う義務はありません。
「法律以外にも人として大切にすべきことがある」という意見には私も同意しますが、法律以外に大事にすべきことは思想や良心の問題となります。
どんな思想や良心を持つかは、憲法によって自由であると定められていますから、自分で好きなものを選んで良いわけです。
今の自分の信念を徹底的に疑ってみた上で、やっぱり「そうしたい」「そうあるべき」 と思うなら、それで構いません。
それは、あなたの判断だからです。
ただ、一度は疑ってみたほうが良いでしょう。
自分の信念を吟味しない限りは、延々と他者から刷り込まれた価値観の中で生きることになり、自由とはほど遠い人生になるのです。
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