アーティストライフコーチングの
高野直人(こうのなおと)です。
「厳しいことを言うようだけど」
という前置きをしてから、
厳しい現実について話す人の話って、
私から見て、
あまり厳しくないことが多いです。
「それって普通のことじゃない?」
「それが世の中なんじゃない?」
と思ってしまうのです。
「厳しいことを言うようだけど」
と前置きをするのは、
その人にとって、
その現実が厳しく感じられたからでしょう。
どうして、
厳しく感じられたのかと言えば、
その人がそれ以前に、
「もっと甘くて優しい世界」を、
想像していたからではないでしょうか?
つまり、
単に自分の期待や想像を裏切られただけ、
だったのかもしれません。
往々にして、
社会に対する期待度が高い人ほど、
「社会は厳しい場所だ」
「社会は冷たい場所だ」
などと嘆くことが多く、
社会に対する期待度が低い人ほど、
「社会なんてそんなもんだよ」
「それが普通だよ」
などと言います。
「社会はこうあるべき」
「人はこうあるべき」
といった、
期待が大きければ大きいほど、
その期待を裏切られることが、
多くなるわけですから、
社会に対して、
冷たくて厳しい印象を、
抱きやすくなります。
最初から何も期待していない人の方が、
思わぬ形で人の優しさに触れて、
「社会って優しいところだね」
なんて思うこともありますよね。
私がかつて、
生きづらいと感じていた時は、
自分では無自覚でしたが、
社会や人に対する期待が高かったんだ、
と思っています。
「人には優しく接した方がいい」
「人には礼儀正しくあるべき」
「社会は公正であった方がいい」
といった、
たくさんの「べき論」を内側に抱え、
そうあるべき状態を、
他者に期待していたから、
その「べき論」に反する、
他者の行動に触れるたびに、
不愉快な思いをしたり、
悲しい思いをしたりして、
生きづらさを感じていたんだと思います。
そういうのを少しずつ見直し、
取り去っていくことで、
感情が揺れることも減っていきました。
社会や人に期待すること自体が、
悪いわけではありませんが、
過度な期待は少しずつ、
取り除いていけると、
生きることが楽になるように思います。
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