アーティストライフコーチングの
高野直人(こうのなおと)です。
誰かから何かを学んだり、
教えてもらったりした時に、
それを宗教的に受け止める人と、
哲学的に受け止める人とがいます。
宗教的に受け止める人は、
教わったことを素直に信じて、
実践する人です。
「信じるものは救われる」
という言葉があるとおり、
宗教の世界は、
信じることがスタートです。
「これを信じればうまくいく」
「これを実践するとうまくいく」
「この考え方ならうまくいく」
という教えを、
素直に信じられるからこそ、
モチベーションが湧き、
結果が出て、努力も報われ、
救われていくわけです。
一方で、
哲学的に受け止める人とは、
教わったことを吟味する人です。
「これを信じれば救われる」
と聞かされたら、
「信じるとは何か?」
「救われるとは何か?」
ということを考えてしまうのが、
哲学的な受け止め方をする人です。
だから、
救われることがありません。
その代わり、
裏切られることもありません。
宗教的な人は、
「この世に信ずべきものがある」
「これこそが救いだ」
と信じ切ることができる、
という意味では盲信的です。
「結果が出れば幸せ」
「お金が儲かれば幸せ」
「出世すれば幸せ」
と信じられる人たちは、
それらを得さえすれば、
一応は救いを得た気になれます。
ですが、
哲学的な人とって、
それらの救いは疑わしいものです。
哲学的な人は、
何かを「盲信」するのではなく、
救いよりも真実を求める結果として、
「この世には、
分かり得ないことがある」
という「確信」を持ちます。
そして、
「分からない」
ということの重みに、
耐えるだけの力を持っています。
それは、
容易に先を見通せない、
今の時代を生き抜く胆力になり得ます。
変化の激しい時代には、
過去の正解を安直に信じて、
救われたかのように思っていた人たちが、
時代の波によって、
足をすくわれていきます。
何かを信じるとは、
時に裏切られることでもあります。
そういう意味では、
「素直に信じない」ということも、
一つの有効な力なんだと思います。
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