音楽ライフコーチングの高野(コウノ)です。
「もっと強くなりなさい!」なんてことが、よく言われます。
「もっと心を強くしたい」なんて言ってる人も見かけます。
「心が強くあるべき」と思っている人は多いようです。
ですが、「心が強い状態」とは、そもそもどういう状態でしょうか?
「強い」「弱い」という評価は、比較があって生まれるものです。
例えば、ある人と比べて「強い」とか、ある人と比べて「弱い」とか。
あるいは何かの基準があって、それより上回れば「強い」、下回れば「弱い」と言うのでしょうか?
だとしたら、比べる相手や基準が変われば、あなたは「強い」とも言えるし、「弱い」とも言えます。
では、誰と比べて強ければ良く、どの基準を上回れば良いのでしょうか?
この辺の定義って、曖昧じゃないでしょうか?
努力するとか、我慢するとか、継続するとか、挑戦するとか、誰かを守るとか、主張するとか、踏み出すとか、向き合うとか、
こうしたことが出来る人に対して、「あの人は強い」などと言ったりしますが、
その人がそれを出来ているのは、本当にその人の心が「強い」からでしょうか?
たまたま、その人にとっては、今していることが、
他の人より向いているのかもしれません。
他の人より得意なだけかもしれません。
他の人より苦に感じないだけなのかもしれません。
他の人より慣れているのかもしれません。
他の人より継続しやすいことなのかもしれません。
単純に、心が「強い」から出来ているとは言えないのではないでしょうか?
「シマウマよりライオンが強い」と言う時に、その理由は「ライオンの心がシマウマより強いから」なんて言わないですよね?
シマウマより長けている能力があるからですよね?狩りに向いているからですよね?
誰かに出来ていることが、あなたに出来ていなかったとしても、必ずしもあなたの心が「弱い」ということにはなりません。
自分のことを「弱い」と思うのは、これまでに「〇〇ができないのは心が弱いからだ」と教えられ、そのように思い込んでいるだけなのではないでしょうか?
ある事柄に対する向き不向き、得意不得意、好き嫌い、耐性の有無、感受性の強弱、教育のされ方や対応能力は、人それぞれ違って当たり前です。
誰かにとって自然に当たり前に出来ることが、自分にも必ず同じようなペースやタイミングで出来るとは限りません。
あなたが今いる場所で、あなた以外全員が出来ることを、あなた一人が出来なかったとしても、あなたが「弱い」ということにはなりません。
たまたま、あなたにとってだけ、それが不得意なのかもしれませんし、不向きなのかもしれません。
みんなにとって、10の努力や意志力で出来ることが、たまたまあなたにとっては、100とか1000の努力や意志力が必要なのかもしれません。
逆も、また然りです。
あなたにとって割と自然に普通に簡単にできることが、別の誰かにとってはものすごく大変で、苦労することだってあるでしょう。
心とは、脳の情報処理現象です。現象なのですから強いも弱いもありません。
「強い心」や「弱い心」があるわけではなく、 何かが出来た結果や何かを出来ている姿が、それを見た人の主観によって「強い」「弱い」と勝手に評価づけられているだけなのです。
自分のことを「弱い」と決めつけることは、コーチング的に見たら良いことではありません。
そうすることで、エフィカシー(自己評価)が下がり、ますます力を発揮しづらくなるからです。
「自分にもできる」「良い方法を見つけられる」と、自分のゴールにとってポジティブな自己認識を持つ必要があります。
苦手なことなら得意な人に任せたって良いし、どうしても自分がやる必要があるのなら、自分のタイミングで出来るようになれば良いでしょう。
人それぞれ違うゴールに向かっているのですから、途中の時点で誰かと比べる必要なんてないのです。
「強い」「弱い」といった曖昧な言葉に囚われず、向かいたい先に一歩でも近づくことを考え、自分にできたことをきちんと評価しましょう。
あなたの抱える条件の中で、あなたらしく最善を尽くす以上のことはできないのですから、最善を尽くした結果こそがあなたにとって最高の結果なのです。
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