音楽ライフコーチングの高野(コウノ)です。
日々、色んな方から相談を受ける中、世の中には自己評価を下げてしまっている人が本当に多いと感じています。
「私は根性が無いからダメなんです」「私は気合いが足りなくてダメですね」といった言葉をよく耳にします。
そういう言葉が出るということは、これまでに「根性がなければダメ」「気合いがなければダメ」といったことを誰かに言われ、それを疑わずに生きてきたということです。
気合いや根性がないと本当にダメなのでしょうか?
そもそも、「気合いや根性がある状態」とは、どういう状態でしょうか?
何を以って、「気合いや根性がある」と言うことができるのでしょうか?
「気合いや根性の有無を明確に分ける基準」なんて存在しません。
「気合いや根性が足りない」と感じてしまうのは、 自分以外の誰かと自分を比べ、「自分は劣っている」「もっと何かすべき」と思っているからです。
しかも、
自分より結果を出している(ように見える)相手と比べたり、
自分より何かが出来ている(ように見える)相手と比べているのですから尚更です。
ですが、 比べる相手が変われば、評価は変わります。
例えば、 仮に「気合いと根性が世界一」の人がいたとすると、その人から見たら、他の人は全員「気合いと根性が足りない人」になります。
あるいは、「気合いと根性が世界一ない」人がいたとすると、 その人から見たら、他の人は全員「気合いと根性がある人」になります。
どこに基準を置くかによって評価は変わるのです。
では、 どこに基準を置くのが妥当なのでしょうか?
それは、一概には言えないことです。
ですから、 どんな人も気合いや根性が「ある」とも言えるし、「ない」とも言えるのです。
気合いや根性の有無は、一意的に決めつけることはできません。
ですから、「根性がない」「気合いが足りない」といった評価にも意味がありません。
「気合いや根性が足りない」と思うのは、 「本当はもっと行動するべきだができていない」 と感じているということです。
それは、「今の時点で必ずこうあるべき」といった何か一つの基準に捉われているからです。
人はそれぞれ、目指すゴールが違います。
成長の仕方も、結果の出るタイミングも全て違いますし、辿っていく道のりもペースも全て異なって当然です。
途中の段階で絶対の正解なんてなく、したがって絶対の間違いもなく、誰かよりも速いも遅いも関係なく、優れているも劣っているもないのです。
自分のゴールに、近づく行動ができていることが素晴らしいのです。
心から望む「want to」のゴールを設定していれば、 気合いや根性なんか出そうとしなくても「want to」の行動が自然に生まれます。
そして、その行動の結果は全てベストです。
わざわざ悪い選択をする人はいないからです。
「もっと良い選択があったかも」と思うとしたら、 それは他人と比べるからそう思うのです。
それに、別の選択をしたからと言って、 「今よりも必ず良くなっている」などとどうして証明できるのでしょうか?
「今までの行動は、今までの自分にとってベスト」「これからさらに良くなれる(できる)」 と考え、自己評価を高めていった方がパフォーマンスは高まります。
「もっと行動する方が自分らしい」と思うのなら、次からそうすれば良いでしょう。
自分の望みとは関係なく、「こうでなきゃいけない」ことなんてありません。
他人に対して、「おまえは根性がない、もっと気合いを出せ」などと言う人がいたとしたら、
その人は「おまえは、私の基準に合わなくて嫌だから合わせろ」と我儘を言ってるだけなのです。
世の中に絶対的に正しい基準、正しい評価はないのですから、
誰かの評価に一喜一憂する必要はなく、「自分は自分のタイミングで必ずゴールを達成できる」と思い、より良い自己イメージを持ち続けた方が良いでしょう。
今までに、何ができていようと何ができていなくとも、 今までの自分にとってはベストを尽くした結果です。
そして、これからもっともっと素晴らしくなれるのです。
他人との比較はやめ、エフィカシー高く進んでいきましょう!
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