音楽ライフコーチングの高野(コウノ)です。
ここ数年、様々な音楽家の方に会ってきた中で感じることですが、
ごく一部の限定された評価尺度のみで自分(達)のことを評価して、
悲しんだり、落ち込んだり、自信を失っている人が多く見受けられます。
例えば、
「お客さんが少ない」
「生徒の数が少ない」
「知名度が足りない」
「賞が獲れていない」
「実績がない」
このように、たった一つの評価尺度のみで音楽家としての自分(達)の価値を評価し、
「自分はダメである」「自分たちは、まだまだである」と決めつけてしまっているのです。
そのようにハッキリとは思わないまでも、良い賞や高い実績を上げた他人を見て、そうではない自分を残念に思ったり、
多くのお客さんを集めたり多くの収入を得ている人を見て、そうではない自分をダメだと思ったりして、他者と自分を比較してはジワジワと自信をすり減らしている方が少なからずいます。
比較しているものの多くは、お客さんの数や生徒の数、知名度や実績といった「収入に結びつくような数値の大きさ」であったりします。
そういう数値によって他人と自分を比較し、自信を無くしてしまうのは、「収入に結びつく数値が多い方が良い」と考えているからであり、「収入に結びつく数値が多い方が良い」という考え自体を疑わずに、普通であり、当たり前である、と考えているからです。
法的な根拠も合理的な理由もなく、その人が「普通」「当たり前」と考えていることは、その人の思想・信条です。
例えば、「全ての国民は法の下に平等である」と憲法に定められているのにも関わらず、「年上(先輩)の方が偉い(=先に生まれた方が偉い)」と当たり前に思っている人がいるとしたら、その人は儒教的な思想を持っていると言えます。
本人にその自覚がないのであれば、本人がその思想を自分で選んでいるのではなく、いつの間にかそのように思わされているのであり、親や身近な他人などの他者によって、それが「普通」「当たり前である」と刷り込まれているのでしょう。
では、「収入に結びつく数値が多い方が良い」という考えを「普通」「当たり前」と考える人達は、どんな思想を持っているのでしょうか?
それは、資本主義という思想です。
本人にその自覚がないのであれば、本人がその思想を自分で選んでいるのではなく、いつの間にかそのように思わされているのであり、親や身近な他人などの他者によって、それが「普通」「当たり前である」と刷り込まれているのでしょう。
「食べていけるかどうか?」といった基準のみで職業を選ぶ人も、「仕事は給料が高い方が良い」としか考えられない人も、「年収こそが結婚の絶対条件」と考える人も、本人が自覚しているかどうかは別として、お金を「至上の価値」と考える資本主義教なのです。
「自分は無宗教であり、無思想である」と考えている人が多くいますが、儒教や資本主義といった宗教・思想を刷り込まれていることに無自覚な人も、その中には多くいることでしょう。
自然に、普通に、当たり前に抱いている考えこそがその人の思想です。
自然に、普通に、当たり前に思っているからこそ、本人は疑いもしませんが、それは無数にある価値観のうちの一部の価値観でしかありません。
どんな宗教、どんな思想、どんな信条を人生の根本に据えようとその人の自由です。
憲法によって信教の自由が保障されていますので、どんな思想・信条を選ぼうとそれぞれの自由です。
ですから、「食べていけるかどうか」といった基準で職業を選ばない人がいても良いわけですし、「収入や知名度がある人こそが良い音楽家である」と考えない人がいても良いわけです。
つまり、「資本主義教」的な尺度のみで、音楽活動を評価しなくても良いのです。
むしろ、そういった尺度のみでしか音楽家の価値を測ろうとしない人を、私は偏狭であるとすら感じます。
私にとって、音楽家の価値は数値では換算できません。
私がある人の演奏や作品を味わい、「素晴らしい」と感じたら、その人は私にとって「素晴らしい音楽家」であり、その人のお客さんの数が多いかどうかはどうでも良いことです。
どこの大学を出ていようと、どんな賞を獲っていようと、どれだけ収入を得ていようと、私が「素晴らしい」と感じられなければ、その人は私にとっては「素晴らしい音楽家」ではありません。
演奏能力や指導力、音楽性のみならず、人柄やその人の理念や活動に共感して「素晴らしい」と思うこともあるかもしれません。
他の人には、また別の評価尺度があるでしょう。
音楽家の価値を測る尺度は無数にあるのです。
先日読んだある本の中で、ジャレド・ダイアモンドが結婚についてこんなことを言っていました。
「幸せな結婚にとって大事なことは、『結婚における一番大事なこと』を探さないというコトなのです。なぜなら、幸せな結婚生活のためには、セックス、子供、経済面、相手の家族といったさまざまな三十八余の要素がそれぞれにうまく機能していかなければならないから。同様に、ある社会がうまく機能していくためには、三十八余の事柄がうまく機能していく必要がある。一番大事な一つのことに絞り込めないのです。」と。
「結婚における大事なこと」をたった一つしか考えられず、それを「お金」と考えてしまうとしたら、その人の結婚生活はおそらくうまくいかないでしょう。
他にも大事な要素がたくさんあるからです。
音楽活動も同じではないでしょうか?
幸せな音楽活動にとって大事なことは、「音楽活動における一番大事なこと」を探さないことであり、収入に繋がるお客さんの数とか、実績とか、順位といった資本主義的な価値を一番に据えなくても良いということです。
勿論、それらが全く無くて良いということではありません。
自分にとって、本当に必要なものは得ていけば良いでしょう。
「もっと多くの人に自分の音楽を聴かせたい」と思うなら、多くのお客さんに聴いてもらえるような工夫をすれば良いし、
「もっと多くの生徒の役に立ちたい」と思うなら、多くの生徒さんにレッスンを受けてもらえるような工夫をすれば良いし、
「今後の活動のためにもっと収入を増やしたい」と思うなら、収入を得られる工夫をすれば良いでしょう。
ただ、集客数とか収入などといった一つの数値だけで、音楽家の価値は決まらないのであり、一つの数値の多寡だけで自信を無くしたり、自己評価を下げる必要も全くないということです。
それぞれの音楽家にそれぞれの価値があります。
価値の感じ方は、見る人によって、聴く人によって、それぞれ異なります。
自分が価値を感じることをして、そこに価値を感じてくれる人が一人でもいて、音楽家としての役割を果たしているのであれば、その人は素晴らしい音楽家なのです。
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